歳時の家

歳時の家 ー第8話ー

もくじ

木の家づくり物語ー7話ー 「歳時の家」

プロローグ

正月に始まり大晦日に至る日本の年中行事は、暦や季節の節目として私たちに暮らしの変化と豊かさを与えてくれる。

入江家は努めて日本の伝統文化を大切に暮らしている。それは夫の忠行が学生時代に欧州を旅行した時、もっと自国の伝統文化を知っておくべきであった、と実感したことが発端だ。

忠行は今年47歳、欧州を旅行したのは20歳の春、欧州7カ国を1ヶ月程の日程で歴史や文化、芸術を探訪するパック旅行だった。それは世界的にも有名な博物館、美術館が在る都市では複数日の滞在期間があり、なかなか一人では訪ねることが難しい大陸の辺鄙な町をも組み込まれパッケージツアーだった。

当時、忠行は御茶ノ水にある、オフィスビルのような学舎に通い、芸術や建築が好きな文化系の学生で、それを知る建築学部に通う同郷の友人に、その旅行に誘われた。同郷の友人と二人で参加した旅は、ギリシャから始まりイタリアへ、ローマからは同じバスで一度、南へ向かいポンペイで折り返し向かったのは、シエナだった。当地は年2回、競馬が開催されるレンガ造の建物で囲まれ世界で最も美しい広場の一つ、貝殻の形をした市庁舎前のカンポ広場に面するレストランで昼食を楽しみ、日本では知る人ぞ知る都市国家”塔の街”サン・ジミニャーノの乾いた空気感を味わい、ピサからフィレンツェ、ヴェネツィアへ到着したのはローマを出発した1週間後だ。

その後ドイツ、スイスを抜け、フランスに入国ル・コルビュジェの代表作”ロンシャンの礼拝堂”を見学した後リオンから当時は、まだ室内空間が存在しなかったサグラダファミリアが建つ、バルセロナまで空路で移動した。

バルセロナでは破れてしまった靴下の替えを買いに、ホテル”GLAN VIA”近くの洋品店で品物を選んでいると店主が近づき「手の拳周りが足のサイズだ」と自分の手と靴下を使い教えてくれた。

忠行は「これも、スペインで代々伝わる文化の一つだな」と痛く感心した、ふと思うと日本にも同じように伝わるものが、あるのだろうか、ここで「日本では、このように測るんだよ」と店主に言えれば、俺もいい男なのになと日本の文化に疎い自分を嘆いた。

その日、浜辺近くに建つ食堂で思いっきり生牡蠣や海老を堪能し、白いクロスが掛けられたテーブルの上には何本も空のワインボトルが並んだ昼食後、地中海をバックに記念写真を撮ろうと集まり忠行もその中に入った。

忠行は記念撮影の際、どちらともなく一人の女性近くで写真に収まることが多くなっていた。当初は全く離れていた二人は前後になり肩を並べるには、そんなに時間はかからなかった。

昼食に呑んだワインの効果もあったのか、決心して忠行は彼女の肩に手を回し、グッと力を込めた。彼女の顔は満面の笑みに溢れ、まさに女神が二人に微笑んだ一瞬を描く写真は、30年ほど経た今でも鮮明なまま、フォトブックの見返しに貼ってある。

バルセロナからコルドバ、グラナダ、トレドを抜けマドリッドへ、プラド美術館では一点一点を堪能する時間はないと判断し、忠行の目には光り輝く作品だけに絞り重点的に観た。中でも”エル・グレコ”の作品には深く感動し今でも、その時の感動がよみがえる。

翌日には、ロンドンへ向かう日曜日の夕刻、忠行は10フランで購入した水浅葱色より僅かに濃いチケットを握りしめ、オペラ座の階段を二人で上っていた。緊張していたのか公演内容の記憶は薄く、手元にあるチケットにはオペラ座のロゴ、開演日時と共に”ORCHESTRE 71″と黒いインクで印刷されており、オペラ座付属オーケストラの定期公演だったようだ。

スフレンヌ通りに面するホテルへの帰り道、地下鉄の駅から地上へ出て右に曲がり小径を歩く、スフレンヌ通りを横切り、ごく自然に二人は少し遠回りになる道を選んだ。100mほど歩くと左手に公園が現れ、エッフェル塔が正面に見える。

塔に向かい街路樹と街灯が規則正しく並ぶ公園を歩きながら彼女は、
「今日は誘ってくれてありがとう、とても貴重な経験ができたわ」
「そう言ってくれると僕も嬉しいよ」
「オペラ座はシャルル・ガルニエが設計したって知ってた」
「へーそうなんだ、知らなかったよ」
「だから”ガルニエ宮”とか”オペラ・ガルニエ”とも呼ばれるの。それと二人で上った階段は、ベルニーニが設計したサンピエトロ寺院内の”スカラレジア”と、ミケランジェロが設計した”ラウレンツィアーナ図書館の階段”と共に世界三階段の一つなのよ」

「ミケランジェロの図書館はどこにあるの」
「あら、フィレンツェのサン・ロレンツォ教会よ」
「え!僕たちは、この旅行で世界三階段を訪ねたってこと」
「そうよ、知らなかったの」

お茶目な笑顔が忠行に向く。
橙色の柔らかな光が、さらにその笑顔を眩しく輝かせた。

「早く教えてくれれば良かったのに、もっとよく見てくれば良かったなぁ」
「それは残念でした。ところで今回の旅行はいかがでした」
彼女は道化るように手を握り忠行の口元に差し出した。

「一言で言えば歴史や文化、芸術が実に様々な人々の暮らしに溶け込んでいると感じた。イタリアでは小学生が歴史的な建物の中で自由に写生していたし、スペインでは、なんと言っても300年かけてでも、サグラダファミリアの完成に尽力する人がいた」

「一緒に尖塔の狭い螺旋階段を登ったね、細長い開口部から眺めた、バルセロナの街が素敵だった」

「そうそう、工事中でも安全な場所には観光客を受け入れるって驚いたよ」
「日本で、そんなところあるのかしら。でも工事そのものが歴史って感じたわ」

忠行はさらに続ける
「日本では考えられないと言えば、ここのオレンジュリー美術館に展示される、モネ作”睡蓮”は写真撮影ができた。ただし、フラッシュは作品を傷めるので使わないで下さい、と強く言われたよ」

「こちらは芸術作品は市民のものって感じがするわね。それと、あなたが言うように文化や歴史、芸術が暮らしの身近なところにあることが羨ましい」

忠行は何度も頷きながら呟く。
「でも、ちょっと反省したんだ。こっちへ来る前に、もっと日本の文化や歴史、地理、気候風土などを、もっとよく知っておくべきだったって」

「同感!日本では自ら、それを求めなければならないけどね」と忠行の顔を覗き込む。
忠行は彼女の眼を見つめ勇気をふるい告げた。

「日本に帰ったら僕と一緒に人生をかけて伝統や文化を訪ね歩いて欲しい」
「それでプロポーズしたつもり?」との言葉と同時に彼女の姿は視界からなくなり身体の温もりが伝わってきた。

耳元で恵子は
「その前に”ロンドン”に着いたら”お風呂”へ一緒に行ってくれない」と囁いた。
「えっ、一緒に入ってくれるの」
「ばかっ、まだ早いっ!」背中をどんっと叩く。
「”バース”ってロンドンから150キロほどの都市。温泉源があることから”バース”と名付けられ、今でもローマンバス跡も残る温泉保養地だったとこ。特に曲線を描いたアパートメント”ロイヤルクレセント”へ行きたいの」

サンジミニャーノ

ファーストコンタクト

仕事を終え建次は町屋を改装したバーへ一人で入る、店の奥には4人掛けのボックス席が2席ある。
カウンターに建次は腰掛けると馴染みの店主が声をかけてきた。

「今日は?」
「スプリングバンク、ロックで」
「いきなり」
「そう」
「喧嘩?」
「いいや、意見の食い違い」
馴染みの店、注文の言葉は少ない。

「その前にこれを」
一重の桃花が入った平盃をカウンターに置きながら、店主は続ける。
「お酒は文化です。平安時代には上巳の節句に『桃花酒』を楽しんだことから『桃の節句』と言われるようになったとも、そして今日がその3月3日です」

建次が「桃花酒」が入った平盃を、そっと持ち上げようとした時、ズボンの左ポケットに入れたスマートフォンが震えた。

ポケットからスマートフォンを取り出し画面を確認すると、ショートメールには
「4月最初の土曜日13時頃、事務所へ行く @忠行」とだけ書かれていた。

忠行が夫婦で事務所へ訪ねてきたのは、近くの公園に初桜が咲いた土曜のことだった。
「よっ!久しぶり」忠行は、いつもと変わらぬ様子で事務所に入ってきた。

「恵子さんも一緒とは珍しいな」

忠行の妻、恵子もまた学生時代の欧州旅行を共にした、いわば旅仲間だ。
二人はたまたま、その旅行で出会い、1ヶ月の旅も終わりに近づいた最終地イギリスでは、二人だけでバースへ行き、二人だけの結婚式を挙げていた。

旅の最終日、建次は恵子に、「出会ってから1ヶ月も経たないのに、大切な将来の伴侶を決めてもいいの」と聞いたことがある。

恵子は清々しい顔で答える。

「数日の旅行では分からないけれど、1ヶ月の海外旅行って結構いろんなことあるじゃない?交わす言葉も増え一緒に著名な建築や、芸術作品を前にすると着飾った言葉は恥ずかしくって使えない。食事も一緒だし夜の街でも一緒に呑みに行ったり、トラブルもあったでしょ、そんな中で忠行さんといると、自分がとても素直でいられ愛したかなっ、て感じたの」
続く言葉は四半世紀経った今でも建次の記憶に残っている。

「建次さん『好き』と『愛する』は、どこが違うと思います」

黙っている建次に恵子は続ける、
『好き』は条件付き、『愛する』とは無条件。『好き』は互いを知るための会話と時間の上に湧き上がり、好きな条件がなくなれば嫌いになる不確かなもの。『愛する』は無条件だから会話も時間も条件もなく永遠のもの、そして愛する人に出会ったら会話も時間も必要はない」

イギリスで二人だけの結婚式を挙げ、首都圏で暮らす夫妻を前にして、「ところで仲が良い、お二人が揃ってこっちへ来るって、どうしたの」と建次は尋ねる。

「2、3年後には、こっちへ戻ってこようかと思ってさ。自宅の設計依頼をしにきた」
忠行の意外な言葉に建次は普段より高い声を発した。
「向こうにマンションもあるのに、それに恵子さんは建築雑誌の編集チーフだろ、こっちきて大丈夫なのか」

「実家の事業を考えたら、そろそろ引継ぎの時期かな。恵子も自然が多い環境で暮らしを楽しみたいって言ってるから、ここがいい潮時かなと考えているんだ」
忠行の言葉に続いて恵子は、
「マンションは一人娘の美香が大学へ進学した時に使う。私も基本的には、テレワークだけど赤入れする時だけは出社するので、その時に今のマンションを使うわ。それからお庭には小さくて良いから菜園も作りたいわ」といった。

二人の決断に口を挟む場面でもなく、建次は大きく頷きながら素朴な疑問を口に出す。
「恵子さんは仕事柄、著名な建築家に何人も知り合いがいるだろ、何で僕に設計の依頼するの」
一瞬の間があり忠行と視線を交わした恵子は思いを告げる。
「それは、私の立場では言いにくいけれど、ここだけの話ね。私たちは建築家の作品で暮らしたい訳ではないのよ。私たちの暮らし方や考え方を住宅という「カタチ」にしてもらいたいの」
「そんなことで、建次に白羽の矢を立てたって訳だ受けてくれるか」忠行は、あっさりと続けた。

「わかった。で、どのような家を考えているの」
建次が聞くと忠行は鞄から書類を引き出し、机上に置く。
「敷地の地図と測量図、要望書だ」

建次は、それを取り上げ頁をめくると、要望書の最上段に「日本の伝統を生かす・・・歳時の家」とある。
「これがコンセプトか?」

「そう、建次に誘われた欧州旅行で、自国の伝統や文化を知り、尊重しなければならないと痛感した。そして同じことを恵子さんも感じ取っていたんだ。それからは二人で日本の伝統や文化を、つとめて大切にしようと暮らしてきた。今度はそれを自宅に生かしたい」
忠行は当時を思い出すように遠くを見つめ話す。

「それは『伝統を生かした日本の家』ってことか」
「そう、日本の家だ。まずは建次が考える日本の家を設計して欲しい」
忠行は、いつになく力強く真剣な声を出す。

「簡単なようで難しい注文だな」
「だから、お前のところに来たんだよ、なっ」
と言いながら恵子を見る、恵子は頷きながら、にこやかに笑っている。

「ところで日本の家と言っても種類があるんだぜ、忠行ももちろんよく知っていると思うけれど、例えば『数寄屋』とか『町屋』『民家』など」
さらに続けようとする建次の言葉を遮り、忠行が口を挟む。
「わかっているが、そうではなく、それを超えたというか、それらを全て含めた日本の家って考えられないか。様式的なものより精神というか文化を感じるものかな」

一瞬、建次の顔に喜色が表れ、
「そうか、実は俺も日本の住宅文化を自分なりに考えていたんだ」
「それを聞かせてくれないか」
忠行は建次に次の言葉をせっつく。

「ああ、日本の気候には四季があり、常なるものが無いんだ、だから永遠不変のものはなく『無常』と呼ばれる。ここから、その時その一瞬を大切にしようと『一期一会』という言葉が生まれたのかもしれない。住宅建築も『常なるものが無い』とすれば空間を限定しない室内構成がなされ、それは屋内外をも限定することなく、自然も屋内に取込む空間として『軒下』とか『縁』などの『ゆらぎ空間』が存在する。幸い日本の建築は『柱』と『梁』で構成する建築だから無限定なる空間を創りやすい。
さらに日本には『しつらえ』とか『見立てる』という言葉がある。季節により住宅を、その時々に合わせ、その風情を味わい楽しむ。無いものを、あるように思い描く、あるいは時の流れにも想いをはせる心が、いわゆる『侘び寂び』の世界観となるのではないかと、考えている」

身を乗り出し聞いていた忠行は姿勢を直し、手元にあるグラスに手を伸ばしながら漏らす。

「自然と共に成り立ち、些細なものまでも心を寄せ、暮らしを楽しむ、ということか。わかった、それを住宅というカタチにしてくれないか。いいよね恵子さん」

恵子は「もちろん」と頬をゆるめ答える。

恵子の様子を確かめ忠行は念を押す。
「それから日本の伝統技術、職人の技を活かした家にしたい。特に大工さんは決して大隅流とか後藤、立川流などと言わなけれど構造材は手刻みにして欲しい」

「失敬だな、わかっているよ壁は左官仕上げにする。僕は、そのような家だけを設計していないからな」3人の哄笑は続いた。


木の家づくり物語「歳時の家」

ファーストプラン

「プランできたって」
建次がスマフォを耳に当てると、相変わらず用件から切り出す忠行の第一声が聞こえてきた。

「ああ、できたよ、メールで送ろうか」
「いや、素人の僕が図面だけ見ても間違った理解をしても、いけないから直接会って説明して欲しい。図面を見るのはその時まで、お預けだが楽しみにしている」
忠行の快活な声がスマフォを振るわせ、耳に響く。

「さすがだな」建次は苦笑いし、スピーカーに切替え続ける、
「いつ来るんだ」

「今度の連休にそっちへ行くよ、連休は大丈夫か」

「設計屋も一種のサービス業だ、連休は無いが空いているのは30日の土曜か2日、月曜の午後でどうだ」
忠行は予定表を確かめているのか、しばらく沈黙があり、
「30日、土曜15時でどうだ」と返事がある。

「30日の土曜日15時だな、了解。打ち合わせが済んだら、美味いものでも食いに行こうぜ、どこか予約しておくよ」建次が返事をするかしないうちに、
「わかった、じゃあな」と、忠行の通話は切れた。
相変わらずだなと、建次はスマフォの画面を指で軽く弾いた。

連休2日目、樹々の青さが増し晴天の空の下、建次が忠行との約束の時間になり、そろそろ来るかなと駐車場を、ぼんやり見ていると見慣れない車が入ってくる。
バックで駐車した車のフロントには「スリーポイテッド・スター」が付いている。建次が、ふと、ナンバープレートを見ると「品川」という文字が目に止まった。

駐車場まで出迎えに行くと忠行が恵子と共に降りてきた。
建次は二人に声をかける「車で来たのか」

忠行より早く恵子は明るい声で、
「そうなの、たまには何処か温泉でも泊まりたいな、と言ったら平湯温泉近くの福地温泉にでも泊まろうかってことになって、それなら、こっちに来る途中で一泊しようという事になり車で来たの」といった。

「僕も行ったことあるよ、露天風呂付きの部屋だった?」建次が聞いた。

「そうなの古民家を移築した露天風呂付きの部屋で、ロビーには囲炉裏があり、これぞ『日本の家』って感じの宿が上手く予約できたの、ラッキーだったわ。それと飛騨牛のお寿司が美味しくって感激した」
恵子は目を輝かせ早口で話す。

「なかなか予約が取れないってイメージだけど、素敵な経験ができたようだね。ところで忠行、日本の伝統を感じる家を注文しておきながら、車はなぜドイツ車なんだ」

「バカ言え、僕は伝統を重んじると言っているんだよ、車といえばガソリンエンジンの特許を持つこのメーカーだろ」
と忠行は彼なりの理由をつけながら事務所に入る。

建次は間取り図を広げながら、
「改めて『日本伝統の家』とは、一言でいえば『自然を尊重する家』といっても良いだろう。深い軒や縁側は内と外をつなぎ、引き戸を使うことで風通しが良く、空間を限定することなく部屋を多用途に使える。風呂も露天風呂風になるよう庭と一体化してみた。もちろん素材は国産の自然素材を基本とするよ」といった。

「早速、説明してくれるか」忠行は出された間取り図をぐっと手元に引き寄せ、恵子との間に置いた。


配置計画

木の家づくり物語「歳時の家」配置計画

建次は建物3方向に庭を配置し、居室からの眺めや風通しを確保すると共に、敷地の湿気対策にも配慮した。また、敷地東南方向に車庫を配置した。車庫の左右に設置した屋外物置は、車や屋外用品の収納と共に耐力壁の確保にある。

「敷地に余裕があるので、湿気対策も兼ねて境界線から建物を3mほど離して北側にも庭を配置した。南の道路側一面と西側には少なくても建物までは高さ1.8mほどの板塀を設置し、視線を遮り窓を開けて暮らせるようにした」
建次はいつものように鉛筆で図面上を指し示すように説明していく。

忠行は指で駐車場付近を指し
「ここに描いてあるのは引き違いの戸?」ときく。

「そこは門扉だよ、門は『むな門』とするか『かぶき門』にするかは、まだ決めていないけれど、正月に『門松』を飾るには門を設置しておきたいだろ」と建次が答える。

恵子は「『むな門』と『かぶき門』の違いって、なに」と素朴な疑問を投げかけてくる。

「そうだね『むな門』とは屋根の付いた門。『かぶき門』とは屋根がなく左右の本柱上部に『かぶき』と呼ぶ横臥材を通した屋根のない門だよ。決めかねているのは駐車場に屋根を計画しているので、そのバランスを考えると屋根があった方が良いのか、ない方が良いのか、あるいは駐車場の屋根と一体化した方が良いのか、住宅本体の屋根との絡みもあり、そもそも駐車場に屋根が必要かどうかも決めていないからね」
建次は簡単に門の違いを説明しながらコピー紙にイラストを描いた。

恵子はそのイラストを覗き込むように身を乗り出し、忠行は説明が終わるのを待って口を開く。
「そもそもの駐車場の屋根は予算を聞いてからかな。予算は前に伝えたように片手で考えているが」

「忠行、僕は予算を無視して間取りを考えたりしないぜ。予算配分は住宅本体が4000万、車庫と板塀、作庭工事で600、諸経費として400万ほどと考えている」

「そりゃ失敬、さすがだな。それなら、やはり雨の多い地方だし冬には積雪もあるだろうから駐車場には屋根を付けたい」
北陸の地は近年、積雪量が減少傾向にあるが、ここ2年ほどは30センチを超える積雪がある。
もちろん建次は積雪を考えての計画である。

何かを考えるように首を傾げ黙り込んでいた恵子が一言、
「この駐車場の物置だけどさ、家庭菜園の道具を置きたいから、庭の方から使えるようにしてくれない?」といった。

建次は「そうだね、でも半分ほどで良いんじゃないか」


玄関・土間

「歳時の家」玄関土間

世界を見れば家の中で靴を脱ぐのは日本ばかりではない、しかし靴を脱いで家に上がるのは日本家屋の大きな特徴の一つである。古の日本の道路事情は土や泥で、さらに雨が降れば履物の草履や下駄ばかりではなく、脚も汚れるため家に入るには、玄関框に腰掛け、履物を脱ぎ、脚も洗う習慣が根付いたとも考えられる。

また玄関土間も国内各地に建つ古民家でみられる日本家屋の特徴の一つである。土間はニワ、ダイドコロ、ウチニワ、ニワナカ、オモテ、アガリハナなどと呼ばれ、玄関出入り口から建物を通り抜ける「通りニワ」形式と出入り口を中心とする「前ニワ」形式に大別される。

その使用方法は建物の用途や職種、地域によって異なる。住宅に限っても「店」や「作業場」あるいは、へっついを置いて「台所」としての機能を持たせたり、農村では「うまや」を併設した事例も日本各地にある。また比較的近年まで土の上で暮らす「土座」の住まいが本州の積雪地、特に農村地で見られたという。ちなみに土座の仕上げには主に花崗岩、安山岩など可溶性珪酸に富んだ土と消石灰、水、地域によっては苦汁を混ぜて作る「三和土(たたき)」の上に籾殻や稲藁、蓆を敷いて暮らしていた。

建次は手元においた図面を見ながら説明を始める。
「玄関土間を『にわ』とも呼ぶが、玄関という室内の部屋に『上り框』を設置して床組され土間より高い床に履物を脱で上がる家屋は珍しい。海外でも履物を脱ぐ国はある、しかしその多くは屋外で履物を脱ぎ、床に上がるものや室内であっても、マットやカーペット、絨毯が出入り口に敷いてあり、そこで履物を脱ぎ同一平面の床で過ごす構造が多いかな」

忠行は恵子との間に置いた図面を見ながら頷き、小さな声で「確かにね」と呟く。

「一般的な家で玄関を、ただ単に出入り口の空間として使うようになったのは近年になってからといってもいい。土間空間である玄関を農村では「作業の場」として、町屋では「台所」として、店を営む家では「店」として多用途に利用されてきた。それで恵子さんが小さくても家庭菜園で野菜を育てたいと希望されているので、菜園の準備や収穫した野菜の仕分けや始末の場所に使えるように広めの玄関土間としてみた」

恵子は
「それは嬉しいわ、それに広めの玄関土間であれば、ちょっとしたDIYも出来るでしょうし、小さな椅子でも置いておけば、ご近所さんがいらした時に、お話も出来るかな。少しお洒落な内装になれば『いえカフェ』も夢じゃないわね」
と、建次の方を見ながら舌をペロッと出す。

その笑顔に建次は「なんだかプレッシャー掛けている?」と答えると恵子が、
「あら、わかった」と、あっけらかんと笑い、横の忠行も表情を崩している。

「誰だと思ってんの?」といい建次は説明を続ける。
「計画当初、台所との間に食品庫と玄関収納を設けていたんだけれど、玄関土間を広くするため無くし壁だけにしてみた。そして東側に天井までの収納棚を取り付けようかと思っているんだが、どうだろうか」

図面を見ていた忠行は顔を上げ
「この棚には扉はつくのか?」と聞く。

「ああ、その辺りは自由だつけても良いし、オープンな棚にしても良いだろう」と建次。
「恵子はどう思う」と忠行は恵子の意見を求める。

「私は細かな部屋が多くあるより、一部屋を大きくして自由に使える方が使いやすいと思う。部屋を細かく区切るということは、それだけ部屋の用途を制限して、自由度を少なくするような気がするわ。でも食品庫として使う、この壁の位置は玄関戸の方向へもう45センチほど移動してくれた方が良いかな。それと、その壁だけど天井までの高さにすると、部屋が狭く感じるから、高さ2メートルくらいまでにするか、丸太を入れるとか、縦格子にでもして艶っぽさも出してね」

「なるほど」と、いいながら恵子が話をしている間、建次は手元にあった白紙を引き寄せ、0.5mmと0.3mmの軸が黒いフェルトペンを使いイラストを描き始めた。
「こちらが斜め天井にしたイメージで、こっちが平天井にした時、どちらも収納部分の壁を縦格子と格子、壁仕上げにした場合だね」と2枚のイラストを描き二人の前に置く。

歳時の家「玄関土間」斜天井
斜天井イラスト
歳時の家「玄関土間」平天井
平天井イラスト

すかさず恵子は斜天井の方を指差し、
「私はこっちの方がシンプルで好みだわ、それで収納の間仕切りは、やっぱり壁の方が良いかな、あなたは」と忠行の意見を求める。

「そうだな、僕は平天井も悪くないかと思った。ところで、この平天井の収納の上は壁なのか、なんだか空いているようにも思えるが」

忠行の言葉を遮るように「イラストの表現がイマイチで悪かったな」と建次が笑いながら答え「ここは昔なら『あま』とも呼ばれた、いわゆる屋根裏収納さ。季節の物や普段使わない物を収納しておく。上り下りの木星梯子も設計しておくぜ」といった。

「なるほどな、それなら長い物、例えば竹の旗竿などを収納するなら斜天井の穂が楽ではないか」と忠行がいったが、建次は不思議な顔をして聞く。
「竹の旗竿なんか、何に使うんだ」
「ばか、正月や祝日には国旗を掲揚しなくっちゃならんだろ、それにホームステイに来る子供たちには祖国の旗を出して、サプライズを演出したい」と忠行は真面目な顔をして答えた。

「そこまでやるか普通」
建次は両手を肩まで上げ、掌を上に向ける。

横で聞いていた恵子は思わず吹き出すように笑って言った。
「インテリアは次回までペンディングでいいかしら・・・」


台 所

歳時の家「台所」

笑い続けていた恵子が口を開く、
「次は居間にする、台所の説明にする?」

呆れていた建次が「そうだな台所にしようか」と話しを続ける、
「台所は玄関土間と同じ高さで考えている、それは古い民家の通りニワ形式をイメージした」

「なるほど、京町家の『とおりニワ』に近い感じだなぁ・・・」
「と、いうことは居間の床と段差があるってこと。それで床にはタイル目地が入っているのね」恵子が忠行の言葉を遮る。

「そして、そのまま直進すれば外の『にわさき』へと通じ、居間の方には土縁へと通じている。
『にわさき』は今でいえばテラスだな、台所から直接出られるから、ここで食事やお茶も楽しめるだろ。土縁は外と内が巧みに溶け合う日本家屋の特徴の一つだと考えている。
そしてここには、できれば薪ストーブを置いてもらいたい」

説明を聞いた忠行は恵子の顔を覗き込むと、やや不安そうな顔がそこにあり意見を求める。
「台所が土間というのが、私にはどうも気になるが恵子さんの考えは」
「そうね〜、よく考えないといけないな、と正直に思ったわ」と恵子が眉間にしわを寄せ続けた。
「ほら、私って結構、台所のヘビーユーザーじゃない、だからタイルの床は、ありがたいなと思うの、それにアイランドキッチンだけどコンロは、しっかり外壁側にしてくれているから換気の心配もなさそうだし。ただ台所と居間の床に段差があるのが気になるわ」

「まだこれで決定ではないが」と建次が前置きし続ける、
「床の段差は生活面では一つのハードルになるかもしれない。しかし、この家は『座の暮らし』を基本として考えているよね、そうすると居間に座ると、どうしても台所キッチンの高さが気になると思うんだ。キッチンの高さを85センチにすると、一般的に座った時の視線の高さは80センチより高くなって圧迫感が増す。でも15センチでも台所の床高を下げると居間に座った時視線より低くなり開放的になると思う」

「15センチの差でそんなに空間が変わる?」
恵子の反応は、やや冷ややかである。

「恵子さん、建築誌の編集者とは思えない言い方するじゃない。建築家がディテール寸法を、どれだけ深く考え決めているか、よく知らないの」

建築家はディテール寸法に千思万考を重ねる、それは経済が1円の積み重ねで成り立つように、建築は1mmの積み重ねで成り立っていることを痛感しているからである。

恵子はちょっと頬を膨らませ答える。
「あら、言ってくれるじゃない、よく知っているわよ、ミースでしょ」

間に入り忠行が「ミースって、あの有名な言葉「God is in the detail」と言った建築家だよね」と聞く。

「そう普通その言葉は『神は細部に宿る』と、ほぼ直訳されているけれど、建築科の学生は『空間はディテールで決まる』あるいは『ディテールは空間を構成する』と解釈するよう教わるの。だからディテール寸法をとても重要視するし、実際に著名な建築家のディテール集も数多く出版されている」と恵子は一気に舌を振るった。

「そうなんだ、そして実際に自分で設計し完成した建物と対面すると、ミースの言葉は全く的を射た言葉であることを強く実感するようになる。だから建築家はディテール寸法に注力するんだ。国内の住宅でも民家は太めの材料を多く使い、数寄屋は細めの材料を使う傾向にある」   
と建次は力を込めた眼差しを向ける。

自信に満ちた建次の顔を見た恵子は
「しょうがない、まっ建次の意見を尊重して15センチほどの段差なら許してあげる」
と応じた。


居 間

歳時の家「居間」

「台所は一段下げるとして、次は居間だな。建次、居間の説明を頼む」
忠行は出されたコーヒーを口に運ぶ。

「ああ。居間の広さは2間かける4間の16帖、南北に空間が抜け、南北両庭に挟まれるというか、自然の中に室内が存在すような間取りとした。南側には、ぬれ縁を見立てたウッドデッキを設置し、北側には土縁となる土間を考えてみた」

古き時代の寝殿造りや書院造りを代表とする日本家屋の多くは、田の字プランとも呼ばれ、部屋が連続的に続く間取りが基本である。そして建物の外周あるいは庭に面した部屋には通路としても利用される、ぬれ縁や縁側が設置されていた。この屋根のある室内とも室外ともいえない空間は日本の住宅建築の大きな特徴の一つだ。

「南北に空間を抜いてしまうなんて随分と思い切ったレイアウトだな」
忠行は目を細め、恵子のほうに体を寄せるように、ささやいた。

「そうね、確かに思い切った大胆な間取りに見えてしまうけれど、私にはなんだか懐かしい間取りに見えてくるのが不思議なのよ」恵子が顔を上げ首を傾げながら忠行を見る。

二人の様子に建次は、してやったりと口角をゆるめ話し始める。
「気がつかない?この家は日本家屋の伝統的な『田の字プラン』で空間構成をしているんだよ。基本は2間かける2間が基本グリッドとした。そして建物の中心付近で棟を受ける大黒柱をここに立てようと思っているんだ」
と言いながら居間と茶の間の間にある柱を指した。

忠行は嬉しそうに頷きながら
「本当か。先の打ち合わせでは言わなかったが、できれば大黒柱があるといいな、と考えていたんだ。高山で見た『吉島家』の大黒柱と梁の木組の美しさが印象的に残っていてさ」という。

「そう思ってこの部分は『吉島家』ほどの大きな空間ではないが、越屋根として天井が高くなるように計画している。もし、もっと大きな空間を求めるなら大屋根までの吹き抜けにもできるぜ」と建次がつつくと、
「本当か!高山の民家や福地温泉の旅館のように天井が高く、梁が剥き出しになっている建物にもできるってことか」
忠行が机を両手でバンっと叩き、身を乗り出した。

建次は仰反るように「ああ」と答えると、恵子が横から口を挟む。
「建次、そんなこと言って、旦那をそそのかさないでよ予算だってあるし、空間が大きくなるって、その分、冷暖房費も嵩むことになるんだからさ」

「しかし恵子、確かに冷暖房費は問題かもしれないが、こちらへ来る前に立ち寄った、高山や福地温泉で経験した、あの空間が我が家で味わえるんだぜ、君も感動していたじゃないか」
忠行は普段は決して義強な片意地なこともなく、他人の意見をよく聞くが、こと自分の琴線に触れると決して曲げることをせず、意思を貫こうとする。

忠行の性格をよく知る恵子は、半ば諦めたように建次にサインを送るようにウインクし、
「ということだから、あとは建次に任せるわ」と笑いながら匙を投げた。

「わかった。ただ忠行、吹き抜けにすると確かに冷暖房費の問題もあるが掃除が大変だぜ、窓をつければ窓拭きも大変だし、梁上にも埃が溜まる。お前にそんな手入れができるか?何年かして掃除が大変だとかなんとか、不満を聞きたいないからな」と建次は釘を刺す。

「そんなこと大丈夫だ。俺は健康掃除好きなんだぜ」と眉一つ動かすことなく平然といった。

恵子はここぞとばかりに「建次さんが証人ね、私は忙しから掃除はしなくてよ」と忠行を見つめ声をかけた。

「吹き抜けの大きさや立面は、こっちに任せてくれるんだな。外観はこのような雰囲気になるかもしれないな」と建次はイラストを描き確認する。

歳時の家立面
facade second plan

「もちろん、建次に任せるよ。吹き抜けにしてくれ、それと二人とも冷暖房費を気にしているようだから、空調計画もランニングコストを意識してくれよ。頼むぜ」というと、また何やら考え込み、
「あのさ、居間の床を畳にできないか」とつないだ。

「畳か、確かに畳は優れた床材だが恵子さんの意見は」と建次は恵子の方に視線を向ける。

コーヒーカップに口をつけていた恵子は涼しい顔で、
「いいわよ」といいながらカップの縁を親指で拭いた。


茶の間

歳時の家「茶の間」

建次は上目遣いに忠行を見ながら、
「居間を畳にするなんて思ってもいなかったからさ、畳の部屋は必須だと思って、図面表記には『茶の間』としているが6帖の和室を計画していたよ」といった。

「いいんだ、和室は和室で欲しいな、と思っていたんだから。そんなことより、この和室を茶室としても利用できないか」と忠行は、いとも簡単にいう。

「茶室?いやいや俺は確かに『茶の間』と書いたが、それは居間としての意味で『茶室』とは考えていない。『茶の間』と『茶室』は、まったく別物だ」と、建次は目を皿のようにして顔をあげた。

「建次、いいのよ茶室風であれば。お稽古するくらいだから」と恵子が笑みを浮かばながら、フォローする。

「なら、躙口とか水屋なんかも必要だとは言わないね、炉を切り蛭釘(ひるくぎ)を打っておくだけでいいのか」と確かめると恵子が「そうそう、その程度で十分だわ」とすかさず返答をする。

「6帖の著名な茶室って意外と少ないんだよな、有名なところでは、伏見稲荷大社の『御茶屋』や薮内家の「学市軒」かな、お床と押入れがあるからな・・・。まっ少し考えてみるよ」と建次は渋い顔をする。

「そんなに真剣に考えなくてもいいよ、ちょこっと炉を切るくらいでさ」
と忠行は右手をひらひらさせ、建次の言葉に呆気にとられるように驚いていう。

「そんなことはないんだぜ、少し茶道に詳しい外国のお客さんがいらしてみろ『なんともへんてこりんな茶室ですね。どなたが設計したのですか』と言われるんだぜ」

「もしそんな時が来たら建次の名前を出し、俺は彼に全てを任せ設計してもらったんだと、強く主張するよ」
と口角を上げ、笑いながら答える。

「冗談も、大概にしろよな」と建次が受け、
「ところで、歳時の家だから床は少々広めにしておいた。正月の鏡餅、雛飾りや五月人形それから季節によって色々な床飾りを楽しみたいだろう、掛け軸も3服掛けるとしたら1間間口では狭いだろうから少し広げてある」と続けた。

「さすが建次、お床があると室礼(しつらい)にもより幅ができるというか、暮らしの楽しみ方が増えるような気がする。私はお香も好きだから香炉も置きたいわ」と恵子は弾んだ声を出す。

「ところで建次、床脇の壁に窓がついているけれど、これはなんだろう。それから押入れの建具もなんだか一枚に見えるけど」
と忠行が首を傾げながら聞いてくる。

「さすが忠行、目敏いな。窓は図面上の覚え書きみたいなもので、下地窓といって左官の塗り壁にする時、土壁を塗らずに下地の竹や葦の蔓を見せて壁内に障子を掛ける開口部で、数寄屋造りでは、よく見られる意匠的なものだよ。押入れの建具は壁に見せようと天井までの引き戸にしてある。普通は両開きの襖戸だけど、数寄屋っぽく仕上げるには抵抗があるからな」

「数寄屋を意識していたってことは、俺が茶室にしたいと言うかもなって予測していたんじゃないの」と忠行は、いたづらっ子のような目つきで笑った。

建次は「長い付き合いだからな、誰だと思ってるんだ」と涼しげな目をして受け流した。


囲炉裏の間

歳時の家「囲炉裏の間」

「おいおい建次『囲炉裏の間』って本物の囲炉裏か?先日、泊まった宿の部屋に囲炉裏は無かったんだがロビーに囲炉裏があって、なんだかフラフラと引き寄せられるように座ったんだよ。そして恵子と二人で、できれば新築する家にも囲炉裏が出来ないかなといっていたんだよね」と忠行は思い出すようにいった。

それを受けて恵子が続く、
「そうね、あの薪が燃えるときの、なんとなく懐かしい匂いと弾ける音が、その場を包み込むようで、たまらない」

「現代の住宅で囲炉裏を切ることは稀だが、古くは縄文時代から家族の真ん中には火があったからな、もっとも縄文時代の住居内の火は神聖なものであり、そこで食物を煮炊きすることはなかったらしい。火の周りに人が集うことは、何か心のどこかに刻み込まれているのかもしれないな」と建次は静かに呟き、
「夢見心地のお二人さんには悪いけれど、基本は炭にしてくれるかな。薪をくべるならば乾燥した広葉樹だな。そして決してキャンプファイヤーみたいに多くの薪を入れないこと」

「わかった、乾燥した広葉樹を探せばいいんだな。ところで宿には囲炉裏の真ん中に鉄瓶がぶら下げてあったが、それもできるか」
忠行はよほど宿泊した宿が気に入ったのか、その雰囲気を再現したいらしい。

「ああ、自在鉤を天井から吊るせばいいんだが、この部屋は踏み天井にする予定だから梁に手鉤は付けておく」

踏み天井とは1階の天井を張らず、2階の床組を表しにして床板そのまま化粧として見せる工法である。古い町屋や民家にも多く見受けられるが構造材や床板を化粧として表しにするため、かんななどで仕上げておかなければならない。

はっと気づいたように恵子が
「建次、確か建築基準法に内装制限ってなかった、囲炉裏は裸火だから室内でも大丈夫なの」
と不審そうな顔をする。

建次は頷きながら、
「そうだな、恵子さんは設計実務から離れていたから気づかなかったかもしれないね。実は2009年に緩和措置が施行されているから大丈夫、そもそも室内の壁は漆喰仕上げで天井は無垢の厚板にするけれどね」と涼しい顔をして答える。

「それならよかったわ。それとここの書斎って?」と恵子が指差す。

「そこは書院にして恵子さんの書斎にするといいかなと思ってさ、階段下を利用しているから、奥の方は天井が少し低くなるけれどね。あっ、それと正座で仕事をするのは大変そうだから、床は掘り込んで座れるようにしておくよ」と建次がいった。

「そんなんだ、でも私、仕事していると散らかすからな、それと囲炉裏のある部屋にパソコンは似合わないよ」

「えっ!もうノートパソコンだろ」

「そう、記事を書く場合にはノートパソコンで十分だけど、編集する時には編集用ソフトの”インデ”使うから、その時にはやはりデスクトップも使うのよ」と続けて「あっ!そうだ、この階段下の収納となっている部分にパソコン置けない?引き戸が入っているようだから仕事以外の時には建具で仕切ればいい、そして書院の地袋を書類入れにすればいいわ」
と、恵子は建次が握っていた鉛筆を取り上げ、図面上に線を引き、
「それと、ここの床は、こんなに奥行きは必要ないわ『床』というより『床わき』という感じで、シンプルな『地袋』と『天袋』で構成する『丁子だな』か『地袋』だけの『文道だな』に棚板1枚つける程度でいいと思う」

黙って聞いていた忠行が心配そうに聞く。
「そこの天井高さはlvl1700ミリ程になるから大丈夫か、狭くはないか?」

「それは大丈夫、狭い方が落ち着くってこともあるから。住宅にも空間のメリハリが必要だな、と私は考えていたの。吹き抜けがあり開放的な空間と、ここのように閉鎖的な空間があった方が、暮らしにも精神的にも奥行きが出て楽しめるんじゃないかな」
と恵子は、これまで取材してきた数々の住宅を思い出すようにいった。

「確かに室内空間は大きければ良いというものではないよね、開放的な空間もあれば閉鎖的な空間もあると、より豊かな精神的な余裕を生み出すかもしれないな〜。それなら恵子さんこの書院を半間、西側に動かし2帖の隠れ部屋にするという方法も考えられるよ」
と建次は机に置いてあったシャーペンで描き足した。

「確かに、それいいかも。忍者屋敷のように回転する『どんでん返し』付けて隠し部屋にしようか」と恵子が手を叩き、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


洗面所

歳時の家「洗面」

近年の住宅で「洗面脱衣室」は普通に設けられる個室だが、国内の住宅では最も新しい個室といって良い。関東大震災後に建築された「同潤会アパート」にはトイレの前に洗面器が設置されてはいたが、それは通路に洗面器が取り付けられていただけで独立した部屋ではなかった。昭和10年頃、東京に新築された住宅でもトイレ前の屋外に「手水器」がぶら下げていたに過ぎず、洗顔は台所を使用していたようだ。

一般家庭にも洗面器が設置され洗面脱衣室となったのは、浴室が広く普及するようになった戦後も10年ほど経た頃だと思われる。

「この時代、洗面所と脱衣室は分け、洗面は個室にする必要はないだろう」と建次は、ふたりの顔を見た。
恵子はしばらく考え、
「そうね基本的には、そうなんだけどね」と、不安そうに口ごもる。
「なにか気になることでもあるの」と忠行が促すと、
「家の奥の方だから、あまり気にすることはないかもしれないけれど、お客さんがいらした時、家族用のタオルや歯ブラシが見えるのは嫌かな」と恵子がいった。

「歯ブラシは洗面台の奥に鏡の扉を付けた棚を設置しよう。ただ、タオルが問題だな」
と建次は笑みを浮かべながら、ぶつぶつと独り言をいうように図面を見ながら恵子に聞く。
「恵子さんは手洗いと洗顔のタオルはどうしている」

「家族の手洗い用のタオルはそれぞれ別にタオル掛けに掛け、洗顔後のタオルは使い終わると、そのまま洗濯籠の中に入れているわ。お客さまのタオルは、洗濯したタオルを使っていただき、そのまま洗濯物籠に入れてもらうかな」

「そう、家族用の手洗い用タオルだけを掛けておくなら、そもそも洗面カウンターはオーダーで作ろうと思っていたからさ、洗面カウンターの前に75センチほどのステンレスパイプを付けておくよ」と言いながら建次は顔を上げた。

「オーダーで作ると高くならないの」と恵子が眉根を顰める。

建次は恵子の心配をよそに自信をもって言葉を返す。
「洗面カウンターの幅が1700ミリ程だから、御影石の天板に洗面器を取り付け、トラップもPトラップで壁排水とすれば洗面器下の掃除もしやすい、シンプルな設計にすればオーダー品の方が安く上がるんじゃないかな」

洗面器の排水には通常、床に排水するSトラップが一般的に使われる。だが、Sトラップだと洗面台のほぼ中央に配管が露出され、収納力が低下するばかりではなく、掃除がしにくいという欠点が生まれる。一方ボトルトラップやPトラップを使用した壁排水であれば、掃除がしやすく収納力も増す。ただし施工時には水漏れが生じないよう、細心の注意を払わなければならない。

排水トラップの種類

「でも、それじゃ洗面器下の収納が無くなるんじゃない」と恵子は痛いところをついてくる。

「確かに、洗面器下の収納は諦めてくれ。ただし浴室を30センチほど南側に移動して浴室の壁に収納を設けることはできるよ」
と図面の上に線を引く。

「さすがね。それで手を打つわ」
恵子は満足そうな笑顔を浮かべた。


脱衣室・浴室

歳時の家「脱衣室・浴室」

待っていたかのように忠行が言葉をかける。
「建次、風呂の大きさは、どれくらいだ」

「風呂にうるさい忠行のため、広めの1.25坪で計画してあるよ。先にも言ったが露天風呂の雰囲気を楽しめるように、浴室前には外からの視線を遮るため、外壁を凹ませ1帖程の坪庭を設け、その前には高さ1.9mの板塀を計画している」と建次が答える。

忠行はご満悦の様子で
「そうか、希望通りだな。ところで浴室の仕上げは何を考えているんだ」と聞く。

「造作風呂でも良いしユニットバスでもいける」

「ちょっと待ってね、私は掃除がしやすい方を選びたい」
とすかさず、横から恵子が口を挟む。
「いやいや、ここは恵子さんの願いでも聞けない。絶対に造作風呂にしてくれ俺の夢だったんだからさ」
忠行が強く主張する。

建次は苦笑いしながら「ハーフユニットバス、というてもあるぜ」と二人の会話に入るが、忠行は顔を苦虫を噛み潰したような顔をする。

忠行の顔を見ながら恵子が察したような目つきで、
「あなた、福地温泉でビールを飲みながら、やけに長い間、まるでこの世の天国って顔をして温泉に浸かっていたわよね。この家でもビール飲みながらお風呂に入ろうとしてるの」

忠行は子供のようにぷいっと顔を横に向けた。

「温泉では、たまには良いかと思って、大目に見ていたけれど、基本的に入浴中の飲酒は禁止です。飲むならノンアルコールにして下さいね」
と恵子が強い口調でいい、少し和らげ続ける、
「しょうがないな、ビールは月に1度か2度ね、その他の日はノンアルコールにするなら、100歩譲って造作風呂でもいいわ。それに風呂掃除はお願いしますよ」

「ということだ、建次。それと、お前に頼みがある、あまり掃除をしなくても良い浴室を設計してくれ」

建次は忠行を、まじまじと見つめ、
「よく言うよ、俺に矛先を剥け得るなよ。どんな設計をしても掃除は必要、まあせいぜい浴室掃除に励み、恵子さんからr落第点を付けられないことだな。でも、なるべくカビが生えにくいように浴室は南面に配置しておいたし、風の通りも良いように廊下にも小さな窓を開けられるようにしてあるよ」と造作風呂になることを予想して、間取りを考えていたことを説明する。

「建次、脱衣室なんだけど、この棚は着替えの洋服を置いておく場所ってのは分かるけれど、タオルの収納棚が必要かな。それからシャンプーやソープのボトルのストックを置いておく棚もいるわ」
と恵子が指摘する。

建次は一言「タオルはバスタオルかい」と聞く。

合理主義で環境問題にも意識の高い恵子は、
「ほら、平成6年だっかな、全国的に降雨量が少なく大きな問題になった年があったでしょ、お陰で関東では断水が避けられたけれど、福岡市周辺では300日ほどの夜間断水があったじゃない。髪をショートカットにすれば私のこのスマートなボディー、フェイスタオル1枚で十分だからバスタオルは使わない。それに洗濯するのも大変だし、梅雨時なんて乾かないから少し匂いのするバスタオルより乾きやすいフェイスタオルを使用する方が気持ちも楽だわ。娘は髪が長いからフェイスタオル2枚使いなさいと言ってあるの。そうね20枚ほど置ける場所があればいいかしら。あっ、タオルは今治製で、使い勝手の良いタオルを見つけたから家中のタオルは、それに決めているわ、確か自然派タオルっていったかな10重ねて厚さが15cmほどだったと思う」と早口で答える。

「なるほど、恵子さんらしいや。タオルのストックは幅35Cm幅で高さ1.2mほどの棚を付ける、棚板は格子か藤の網代にして、通気の良い素材を選ぶよ。ボトルのストックはその最下段を利用することになるかな。」
と建次は即答し忠行の方に視線を移すと、忠行は満足会な顔で、まだ図面上の浴室に視線を落としているように思えた。


洗濯・物干

歳時の家「洗濯・物干」

「洗濯機は脱衣室と別室にしてくれたんだ」
浴室の打ち合わせを終え、冷えたコーヒーカップを両手で包み込むように持ち、恵子は独り言のようにいった。

「確か恵子さん花粉症じゃなかった」
建次が尋ねると、
「そうなんだ、花粉の季節は結構大変だよな。だから車の中に花粉が入り込むのを嫌がって、窓は一度も開けたことはないんだ」と忠行が代わりに答えた。

建次は気の毒な顔で、
「そうだよな花粉症の人って、すごく大変だよな」
といい続けた。
「だから花粉の季節でも洗濯物が干せるように、この部屋は物干し場としても使えるように考えている。ただこの部屋だけでは少々狭いだろうから、物干しとしては脱衣所と一緒に使えるよに区切りの戸は引き戸にしておいた。まっ、日本建築の一部屋を多用途に使うてところかな」

恵子は手にしていたコーヒーカップをテーブルに置いてから口を開く。
「合わせると4帖分のスペースね、これだけあれば梅雨時や冬季間も十分かな。ところで洗濯金物は天井に固定するの」

「室内だから、ベランダに取り付けるような金属製の大袈裟な物干し金物は考えていないよ」
との建次の答えに意外そうな顔をして恵子が聞く。
「物干竿はどのようにして固定するの、そういえば先日テレビのリフォーム番組で電動式の物干金物を見たわ」

「ああ、パナソニックの『ホシ姫』だね。昇降機付きの製品もいいけど、いずれは故障することもあるよ。それに普段、物干金物が固定されているのは見た目にいまいちだからさ、使う時だけS字フックを下げて物干竿を吊ってくれない」と建次は涼し顔で流した。

忠行が最後に「中庭に付いている窓は、もう少し大きくしてくれよ」と注文を入れた。


2階 寝室・WIC

歳時の家「寝室・WIC」

建次が寝室の説明に入ろうと鉛筆で部屋を刺した時、恵子が
「あら、ウォークインクローゼットがあるのに、寝室に押入れもあるんだ」
と、少しばかり驚いた様子の声をあげた。

「そうなんだよ。WICがあれば収納は大丈夫、と考える住宅会社や設計者が多いようだけど、季節用の寝具や箱物を収納するには押入れが必要だと考えているんだ。実際に『押し入れがあって助かった』という声も、よく聞くからね」

建次自身も若輩時代の住宅設計では、寝室の収納としてWICだけを設け、それで良いと考えていた。ところが年配の施主から「寝室には季節の寝具を入れる場所が必要です」と指摘を受けた。当初はWICに天袋のように1.8メートルほどの高さに棚を付け、そこに寝具を収納することを提案をした。確かに年間でも数日のことではあるが季節が不安定な一時期、その日の気温に合わせ寝具を取り替えなければ熟睡できないと言われ、天袋の高さでは出し入れが不便なうえ、高さがあるため高齢になると危険も伴うので避けたいと希望された。

この一件があり、住宅は暮らしを通して安全でなければと考える建次は、寝室の収納には余程、面積的な制限がない場合には寝室に寝具の収納が簡単にできるよう、寝室を少し狭くしても押入をつけるようにしている。

建次の説明を受け忠行が首を縦にふり「確かに、うちにも季節の寝具は何組かあるから、押入れがあると寝具類の収納に不安はなくなる」といった。

建次は「押入れに入れるのは季節の寝具類だけと考えてもいいか」と訊くと、
「ああ」と忠行は簡単に答えた。

「それなら、押入れの建具は壁に見えるように一本引の建具にしようか。その方が寝具の出し入れも楽になる。それから天井の高さも2.2メートル位と低く抑えようと思っているがいいか」と二人に確認する。

建築雑誌の出版社に努める恵子は、
「部屋のデザインは建次に任せるよ、ただしインテリアパースか何かで先に説明してくれるかしら。ただし間取り作成ソフトは決して使わす、手描きね。建次はパース画は得意だったでしょ」と、極端に間取り作成ソフトを嫌った発言をする。

「残念ながら僕も間取りソフトは大嫌いでね。今でも製図板とT定規を使って製図できるよ、ただ歳のせいか三角スケールのメモリが見にくくなってさ、最近はもっぱらパソコンでCADを使って作図しているけれど。恵子さんも間取り作成ソフトは嫌いなの」
建次は、スッと背筋を伸ばし険しい顔をした。

「大嫌い!だって間取り作成ソフトは、あくまでもパソコンデータで過去の集合体じゃない、私は建次の自由な発想で設計して欲しいの、その時々の閃きとかアイデアを活かす設計をするのが建築家でしょ!間取り作図ソフトは実力のない設計士が使うもの、著名な建築家が間取り作成ソフトなんか絶対使わない、もし使ったら、その時点で建築家廃業よ。設計事務所の看板は下ろすべきだわ」
恵子の間取りソフト評は手厳しい。

「おいおい、そこまで言うか」と忠行が微苦笑する。

「伝統的な日本の木造住宅建築は、軸組の構造美もその一つだわ。古の職人が何年にも渡り創意工夫を重ね生み出した軸組、仕口や継手の美しさも大切にしたい、もちろん自宅にも伝統的軸組の美しさを生かしてね。現状、住宅会社の設計担当や建築事務所の建築士にも木造の軸組設計ができない人は多いようね、多くはプレカット工場でパソコンを使い軸組の設計しているのが現状だわ。だから美しい軸組なんて決して望めない。建次、あんた軸組設計できるんでしょうね」と住宅設計業界の実情を嘆いた。

建次は口をとがらせ「もちろん。軸組図は僕が描くよ」といった。


2階 洋室

建次は当初、間仕切りを設け6帖二間にしていた。しかし一人娘の美香は17歳で、この住宅が完成する翌年には美香は大学へ進学するため、この住宅に子供室は必要なくなる。とは言っても休暇中にはこの家に遊びに来るだろうし、入江家ではホームステイを受け入れる予定をしているので、ゲストルームが必要だ。

部屋を二部屋に区切り部屋の使い勝手を制限するより、一部屋として計画し必要に応じて二部屋に区切る計画をした、区切りは移動可能な押入れを設置する。

建次が話し始める。
「子供室は特に設けず、ゲストルームとして12帖の洋室一部屋とした」

忠行は「ところで家が完成するのはいつごろになるんだ」
「そうだな、設計期間によるけれど新築工事は6ヶ月ほどかな」
建次の返事を聞き恵子が「そう、それなら美香が大学に進学して、しばらくしてからの引っ越がいいかしら」と忠行の方を見る。
「僕も引っ越しの時期を考えていたんだ。その前に建次、住宅を新築する場合、建築時期はいつ頃がいいんだ」と訊く。

建次はスマホのカレンダーを見ながら答える。
「今では年間を通して新築工事が行われているけれど、こっちは冬季はある程度気温が下がり、梅雨時には『弁当忘れても傘忘れるな』といわれる土地柄だからな、新築工事を行うなら3月ごろに基礎工事から始め、4月から5月にかけ上棟式を行い梅雨に入る前に建物内に雨が入らないように屋根や外壁のサッシ窓を付け透湿防水紙を張り、9月から10月にかけて完成させる日程と、梅雨明け前に着工して梅雨の晴れ間をぬってコンクリートを打設し、梅雨明けと同時に譲渡し年内に完成させる工程がお勧めかな」

一緒に自分のスマホを見ていた忠行は、目でカレンダーを追いながら頷き、
「それなら秋に完成するスケジュールが僕たちには最適かな。恵子さんはどう思う」
と恵子の方へ顔を向ける。
「私もその予定でいいと思う」

「住宅の完成は来年の秋だな、それなら子供室ではなくゲストルームとして計画しても構わないか」と忠行は改めて建次の方を向き続けて訊いた。
「洋室の点線で書いてある押入れは、移動できるのか」

建次は頷き、
「そう、その時々にあわせ部屋の広を変えればいいと思っている。それから時期によっては二部屋必要にある場合もあるだろうから、その時のため出入り口は2箇所にしている。部屋の仕切りは押入れを仕切るパネルの他、部屋の間仕切用としてパネルを一枚用意しておくよ。これでプレゼンは終了かな」
と今日の打ち合わせを終わらせようとする。

その時、恵子が「この『あま』ってなにかしら」と呟いた。


あ ま

歳時の家「小屋裏収納|あま」

「ごめんごめん、説明し忘れるところだったよ」
建次は頭を掻きながら、一度折り畳んだ間取り図を広げ、続ける。
「日本の町屋には天井を張らずに、階上の床をそのまま表しにして下階の天井とする『ふみ天井』が多く見られることは知っているだろ。その工法をこの家にも取り入れたく『あま』を計画したんだ、この住宅で簡単に言えば開かれた天井の低い屋根裏収納だね」

「なるほど天井が低いってどれくらいなの。天井の低い部屋って興味あるわ」
恵子が訊いてくる。

「そうだね高くても建築基準法から、床面積に算入せず収納として使うなら1m40cm以下としなければならないんだ」
建次が言い終わると同時に忠行が口を開く。

「そういえば京都の町屋で見たことがある、日本建築の伝統を感じる工法は大賛成だけどその高さじゃ立つこともできないじゃないか。もっと高くできないのか」

建築基準法では高さ1.4m以下の小屋裏等の空間は、床面積および階数に算入させなくても良いことになっている。そこで、とある住宅メーカーでは1階と2階の間に「蔵」と称する空間を設置して2階建住居と申請している。

建次は脇にあったメモ用紙を引き寄せ、簡単に建物断面図と数字を書き込み電卓を弾いた。
「高くしても2mほどかな、でも階数に影響はないが床面積には算入しなければならない。その上、居室申請するには平均天井の高さが2.1m以上必要だから、最高の高さで2mの空間だと居室として申請することは出来ないぜ。書庫とか納戸などの非居室となる」

忠行は少し首を傾げ訊く。
「床面積が増えた場合のデメリットは何かあるのか」

「そうだな、建築申請では建物の容積率を検討しなくてはならないが、それは問題はない。ただ、登記上の面積が増えるから税金の評価額が変わり、新築後に課税される不動産所得税と固定資産税、都市計画税の金額が少し増額になるくらいかな・・・」と曖昧な返事をする。

「そうか、それならなるべく天井が高くなる設計にしてくれないか。なんだか秘密基地みたいで面白い空間になりそうだかさ。部屋は半分は収納にして残りの半分は僕のコレクタールームにする」
忠行は珍しく子供っぽい笑顔で答えた。

「収納として申請するから、あとは忠行が自由に使ってくれるか」と建次がいった。
恵子は忠行の顔を覗き込み「あなた、いいところ見つけたじゃない」と嬉しそうに声をかけた。

忠行は軽く咳払いをし
「さて、これで今回の打ち合わせは終了かな。腹減ったよな建次」と建次に視線を送る。

「ああ、これで今回は十分かな。今日はこれまでにしようか」と図面を閉じた。


「建次ありがとう」
二人はほぼ同時に礼をいう。
建次は、相手の好意に対して感謝の意を伝える習慣が根付いている二人を見て、一瞬ドキッとし、我が身を振り返った。そういえば最近は妻に感謝の気持ちを伝えていなかったなと気付かされた。それは瞬時のことで忠行はそれに気づくこともなく言葉を続けたいた。
「概ね希望が叶った素敵な間取りだった。出来上がるのが楽しみだ、ただ打ち合わせ中に出した変更は頼むぜ」

建次は少々慌てたそぶりで
「ああ、修正した間取りはメールで送るけれどいいかな」と、つくろう。

「もちろん一度、説明を訊いているから次はメールで構わないよ。念のため俺のアドレスと恵子さんのアドレスにも送ってくれ」と言いながら忠行はメモ用紙にアドレスを書こうとした。横で見ていた恵子は、
「そんな面倒だわ、建次さんのアドレスに私からからメール送っておくから、そこへ返信してくれる」と言いながらスマホを取り出しメールを打ち始めた。

外はすっかり夕暮れ時の様相で建物や樹々の影が長く伸び、その影と強い光が当たる建物の対比が美しい。

「それじゃ飲みに行くか」と忠行が立ち上がった。
「近くの寿司屋を予約してあるから、そろそろいい時間だな。恵子さんには好きなワインを用意してもらってあるよ」

「さすが建次ね」恵子は鞄を持ち上げ嬉しそうに忠行の後に続いた。

参考資料一覧

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